岩手宮城内陸地震から3年経ったという記事が新聞に載っていた。
そういえば東日本大震災3.11から三ヶ月経っていた。もうそんな記憶でしか無いのかも知れない。
昨日、仙台新港のホームセンターに立ち寄る序でに、家族に津波被害のあった新港付近の様子を見せようと思った。自分は震災後、職場の新港事業所へ片付けに行ったので大体の様子を覚えている。3ヶ月経ってだいぶ片付いたなと言う印象と、まだまだ復旧していない部分が多いという印象を受けた。
新港での買い物を済ませ、なかなか行く機会の無かった荒浜方面へ行って見ようと思った。新港から浜通を抜けて蒲生・岡田付近を通る。道路際に流された仙石線101系の残骸を見て荒浜方面に向かうと明らかに自分の記憶していた風景と違う。防風林が全く存在しない、海岸まで見えそうな雰囲気だった。防災ヘリポートだって見えなかったはず、荒浜小学校も通りからは見えなかったはずだし、荒浜海岸へ向かう交差点のガソリンスタンドやコンビニも無くなっていた。と言うか、そこから見えるはずの無い海岸付近が見えそうだった。
「信じられない、本当に何も無い。」
東北電力の復旧作業が進んでいた。警察がガレキの中を捜索している。3ヶ月経っているのにこんな状態だ。交差点から六丁の目方面へ向かうと七郷付近に出た。海岸から何キロ付近だろうか、ここは普通の生活が出来ている。数キロ海岸へ向かうと壊滅状態だ。
3月11日の夜。停電の中で聴いたAMラジオの言葉。
「荒浜付近の道路上で300人程の遺体が発見されました」
今でもあの言葉は忘れられない。