2011年3月13日日曜日
東北地方太平洋沖地震
3月11日、大学病院に寄って八乙女に行き、ホームセンターに居た。半田ごてとゴムシートを買おうとレジに向かう時だった。
少し揺れ始めた。一昨日も震度4が有ったばかり、そんな感じで考えて居たが揺れは大きくなるばかり。客は皆外に出て行く。手に未会計を持って居たので建物入り口に居たが駐車場まで避難した。揺れは大きくなり、駐車場の車もローリングが大きくなる。バイパスを見れば車は全て止まって居た。店内を見ると停電しグチャグチャになっていた。未会計商品を返し、自宅に急いで戻る事にした。そこで信号が動いていない事に気づき、全て停電している事がわかった。
何がどうなっているのか全く分からない。保育所に居る次男が気になるが、取りあえず自宅へ向かう。恐らくモノが崩れて散乱しているだろう。
R4BPを上り方面に走行すると、沿線の店舗から沢山の人が逃げ出していた。店内の天井が落ちている店舗、外壁が落ちている店舗など。信号がストップしているので交差点は慎重に通過する。走行していても大きい余震でクルマが揺れているのが分かる。途中、何カ所か道路に段差が出来、皆徐行しながら走行していた。バイパスから多賀城方面を見ると火柱が上がっていた。見ていてゾッとした。
小鶴新田が見えてきてバイパスから降りる。ジャンクションを通過すると段差や亀裂が増えてきた。自宅の近くは液状化現象が激しく、一面泥の道路になっていた。自宅に着き、近所の方に声を掛ける。建物は大丈夫そうだ。自宅内は食器やパソコンが落下し足の踏み場も無いほどだった。次男を連れてくる前に何とか片付けなくては、そう思い割れた食器などを片づける。その間に何度も余震が起こっている。
16時頃、保育所へ迎えに行く。そして間もなく妻と合流した。外は吹雪いてきた。丁度この頃、海沿いでは津波が押し寄せて多大な被害が発生していた。
自宅に戻ったが電気とガスが使えない。水道は辛うじて使えている。取り急ぎ、風呂に水を貯めて物置から水タンクを取り出し水を貯めておく。いずれは使えなくなるだろう。電気はLED懐中電灯を多数持っていたし電池も普段から買い溜めしていたので問題なし。ガスは10年以上間に購入したキャンプ用のPRIMUSガスとガスストーブ・ガスランタンを持っていたので何とか調理する事が出来た。情報入手は17年位前に購入したラジオを使った。
電気が使えずエアコン石油ファンヒーター・オイルヒーターが使用できない。18時頃には真っ暗になるし、外も真っ暗。クルマのヘッドライトだけが灯している状態。この状態が地震の日から3日間続いた。
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